宮城県仙台市においてボランティア活動を実施


~ 四国電力総連 被災地救援ボランティア 第6陣を派遣 ~


☆ 被災地救援ボランティアレポート [第6陣] ☆
~ 北海道電力総連4名・北陸電力総連3名・中国電力総連5名の仲間と共に活動をしました ~


 四国電力総連被災地救援ボランティア派遣団第6陣として、8月21日(日)から27日(土)までの7日間、宮城県仙台市において、救援活動を行いました。

≪8月21日(日)≫ 移動
10:30  連合本部(東京都千代田区神田)に集合。レクリエーションの後、第20陣出発式。
11:00  バスにて宮城県に向けて出発。
17:00

 期間中のベースキャンプ(BC)となる宮城交通労働組合(宮交会館1F)到着、結団式
  ⇒以降5日間、同会館にて寝泊まり。


≪8月22日(月) 雨時々霧雨 最高気温20.8℃ 最低気温17.2℃≫
 雨天により、作業中止となったため、バスにて被災した七ヶ浜町、多賀城市を視察。
 事務局担当者(連合宮城・塩竃地協職員)案内のもと、被災した仙台港周辺を視察した。
 港に打ち上げられたタンカーや震災当日、テレビで放映されていた炎上した石油タンク。
 仙台港から七ヶ浜に流れ着いた船舶用コンテナ等を間近に、震災当時の話を自らも被災した担当者の話を聞き、一同、言葉を失っていた。
   


≪8月23日(火) 曇り時々霧雨一時雨 最高気温22.8℃ 最低気温20.0℃≫
 作業拠点となる岡田会館(川内市宮城野区岡田)へバスにて移動(片道40分程度)。
 作業道具を準備し、作業現場へ。到着後、周辺道路側溝の泥出し作業。

 主な作業道具は、スコップ(角、剣先)・どぶた郎君・鋤簾・つるはし。
 服装は、雨合羽上下・長靴・ゴム手袋・マスク。

 悪臭が予想されたが、マスク着用により、臭いはさほど苦にならなかった。
 気温は低かったが、上下雨合羽という服装のため、作業開始後数分で汗まみれとなり、適宜水分補給が必要であった。

 側溝は暗渠になっているため、分厚い側溝の蓋を外し、溜まったヘドロをシャベル等の軽微な道具で取り除きつつ、土のう袋に詰める作業は、思いのほか大変であった。
 水分・油分を大量に吸ったヘドロは非常に重く、加えて側溝は狭く深い構造となっており、無理な体勢での作業を強いられることから、なかなかの重労働であった。
 一部は側溝そのものが損壊しており、本当に水が流れるようになるには、まだ暫くの時間を要すると思われる。


≪8月24日(水) 曇り 最高気温29.4℃ 最低気温21.6℃
       25日(木) 曇り一時雨 最高気温28.0℃ 最低気温21.5℃
          26日(金) 雨時々曇り 最高気温24.0℃ 最低気温20.6℃≫

 22日(月)同様、岡田会館にて準備し、周辺個人宅の瓦礫を撤去。

 主な作業道具は、スコップ(角、剣先)・れいき・つるはし・バール・鋸
 服装は、合羽上下・長靴・ゴム手袋・マスク。

 大きな瓦礫については、過去2回のボランティアにより片付けられていたが、それでも少し掘ればすぐに瓦礫が出てくる状況であった。
 広い敷地内には、手入れされた庭園があったが、津波により無残な状況に。依頼者たっての希望により、瓦礫だけでなく、庭内の枯木の除去を実施。特に、震災前、見事な葉をつけていたというイチョウの木は、掘り出しに大変な労力を要した。依頼者からは「これまでに協力いただいた中でも、一番丁寧に作業いただけて、本当に有難い。」と涙交じりに感謝の言葉をいただいた。

 最終日(26日)は、作業終了後、ベースキャンプにて解団式。


≪8月27日(土)≫ 移動
 5:30  東京着




~活動を終えて~

 まず、私を含め班員全員がケガや病気をせず、無事帰って来られたことに安心しております。
 今回の活動では、班長という立場で参加させていただき、毎日の班長会での意思決定やグループ間の連絡調整などで戸惑う部分もありましたが、素晴らしい班員に恵まれ、助けてもらいながら何とか遂行することができました。
 現地では、予想以上の津波被害の大きさを目の当たりにし、現地の人から被災時やその直後の様子などを直接聴くことにより、最初は何か絶望感みたいなものがこみ上げてきました。
 しかし、今回、現地では他に多数のボランティア団体を見かけました。私たちが実質、4日間で行った作業など、ほんのわずかなことでありました。元通りになるには、10年、20年かかるかも知れませんが、今回参加したメンバー全員が持っているような’思い’のある人間の継続行動により、必ず復興できると感じました。
 今回経験したことを家族に伝え絆を深め、仕事の中でも、特に精神的な部分で活かせると思います。ボランティアに参加し、私自身が素晴らしい人生経験をさせていただきました。本当にありがとうございました。
四国電力労働組合  尾方 数太


 今回、宮城県の仙台地域のボランティア活動に参加して最初に感じたことは、震災から5ヶ月以上が経過しているにもかかわらず、被災の爪痕が殆どそのままの状態でまだ残っていたことです。これには正直驚きましたが、逆に震災の大きさを改めて実感しました。
 その中でのボランティア活動ということで、主に側溝の泥だし、被災住宅の庭の瓦礫やガラスの撤去、津波で折られた枯木などの除去が中心となりました。正直、機械を使えば短時間で効率よくできる作業だったかもしれません。しかし、今回このような形で作業をしたことにより、被災住宅のAさんとも話す機会を持つことができ、当時のことやその後の経過内容を実際に聞き、正直目頭が熱くなりました。
 そんな状況の中、我々ボランティアに対する感謝のお言葉もいただき、大変嬉しく思いました。そういった意味では、ボランティア活動が被災者にとって、本当の意味で心の救済になり、同時に心の痛みを分かち合うのではないかと思いました。
 そしてボランティアを通して、私の座右の銘としておりますラグビーの合言葉「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE(ひとりがみんなのために、みんなはひとり(ひとつ)のために)」を実感することができました。まだまだ被災地の復旧には時間が掛かると思いますが、このボランティア活動を行った地域や他の被災地が、1日でも早く復興することを心より深くお祈り申し上げます。
 最後に、今回ボランティア活動に参加させて頂ける機会を与えてくださいました、電力総連、組合並びに会社関係者の皆様には心より感謝申し上げます。そして、何より今回ボランティアで共に活動をした同士と出会えたことを、心より嬉しく思います。本当にありがとうございました。
四国工商ユニオン  中条 啓二


 ボランティアに参加できて良い経験になりました、作業内容は溝の泥だしや瓦礫の撤去でした。手作業での作業はすごく時間がかかると思いましたがみんなでやるとあっという間でした。
 1人の力はたいしたこと無いけれど、みんなが集まればこんなにも大きな力になるんだと実感しました。
 4日では物足りなかったので、またボランティアに参加したいです。
志度カントリークラブ労働組合  梶原 健志



 既に地域の電源は復旧していると思われるが、バスで作業現場に向かう途中、倒壊、傾斜した電柱や電線のない一部破損した鉄塔がいくつも見られた。また、電源は復旧しているものの、信号機の生産が追いつかず、現在も警察官(県外からの応援と思われる)が交通整理を行っていた。震災から約半年が経とうとしているが初日の被災地を見学する限り、まだまだ復旧からは程遠い状況に思えた。
 幸いにも期間中気温が低めに推移したため、他の陣に比べ作業そのものは比較的容易であったように思う。
 本活動を通じて、他の電力総連の仲間と知り合うことができたことは、非常に良い経験であり、自分の財産になった。
四国電力労働組合  福家 孝一





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